知の編集術

知の編集術 (講談社現代新書)

知の編集術 (講談社現代新書)

(2007-08-21読了)

松岡正剛の本を読んだことがなかったので,ようやく読む.普段こういった類の本を読まないので,半分も理解できなかった.

けれど,入門書としてわかりやすい,と思うし,エクササイズがあるのがよい.特に「マスキング」のトレーニングはやりやすいし,力がつきそうな気がする.

剣道と「鳴らぬさきの鐘」(pp.128-129)の話はとても面白い.イマジネーションが先行する,という経験は誰もが覚えがあるだろう

コンパイル」(編纂)と「エディット」(編集)がある.コンパイルの特徴は「情報の相互規定性」にある.さまざまな情報アイテムや情報フレーズを比較し,その相互の規定関係をはっきりさせる.エディットはこれに比べて自由な幅をもって情報を編集することをいう.

編集工学では,1対1の対応型の編纂の対象となる情報をデータ(data),解釈がいろいろありうる情報単位をカプタ(capta)と呼んでいる.カプタは「多様な解釈を伴う情報」という意味で,アメリカの心理学者R.D.レインが提唱した.

日本人はノーテーションが下手だと書かれている.日本人が書いたノートはどれもが同じようなものになる,と指摘されている.これは著者の読書法で紹介されているように,複雑な構造をもった文章を理解する際に大いに役立つと思う.
自分の話をすると,特に文の構造が複雑に絡み合っている古典・名著と呼ばれる本を読むのが非常に苦手である.おそらく,著者の指摘する「ノーテーション(記号化)」が下手なために,うまく抽象化できず,消化不良を起こすために理解できないのだと考えている.
自然科学の論文などは,未定義であったり,曖昧性を持った語を使用することが推奨されていないため,(語の定義を理解していれば)簡潔な構造になっているため,比較的読みやすいのではないか.


1. 編集は遊びから生まれる
2. 編集は対話から生まれる
3. 編集は不足から生まれる

1. 編集は照合である
2. 編集は連想である
3. 編集は冒険である
松岡正剛『知の編集術』p.9 )

私は「知」というものをテイストで分けている。すでにわかってもらえているとはおもうが、私は「知」や「情報」をジャンルや領域や図書分類などでは分けていない。自分が好きなテイストで接するようにしているのである。

(中略)

 なぜ、こんなふうrになっているかというと、もともと編集にもTPOがあるからだ。日曜日の午後に編集したいときと、水曜日の夜中や仕事の中で編集しなければならないときとでは、何かがちがう。また,永井荷風を読んだあと、シオランを読んだあと、新聞を読んだあと、報告書を読んだあと、食事をしたあと、誰かと話しこんだあと、何かを思い出したあとでは、まったく情報コンディションがちがっている。そうすると、その情報コンディションにふさわしい「知」を選び(料理の素材のように)、その素材にふさわしい編集がほしくなるものなのだ。
松岡正剛『知の編集術』pp.179-181 )

ずっと以前、桑沢デザイン研究所で写真を教えていたころ、学生たちが「先生、見てください」と撮ってきた写真をもってくると、しばらくしてパッとこれを伏せて「うん、何を撮ったの?」と聞くことにしていた。学生は自分が撮ったものであるにもかかわらず、ほとんどのディテールをおぼえていないのである。見るとは、二度以上見ることである、このマルセル・デュシャンの言葉を忘れないでほしい。
松岡正剛『知の編集術』pp.223-224 )