究極の英語学習法、三鷹メソッドのすすめ

アメリカに来て5年目になるが、ときどき「どうやって英語を勉強したの?してるの?」と聞かれることがあって、その度に「子どもに教わっている」と答えている。これは冗談ではなく事実で、実際に自分は子どもとの会話を通じて英語を訓練しており、その方法をこれから説明する「三鷹メソッド」という究極の英語学習法の枠組みで説明したいと思う。

三鷹メソッドはあらゆる言語に適用可能である "汎用的な言語学習方法論" であるが、本記事では自分の経験に基づき、英語の例で説明しようと思う。

三鷹メソッドに必要なもの

三鷹メソッドに必要なものはたったふたつ。

  • 外国(たとえばアメリカ)に住んでいること
  • 現地の学校に通う(予定)の子ども

これだけである。いやいやいや、この記事を読んでいる中でこの条件を満たす人がどれだけいるんだ、というツッコミがあるだろう。まぁ、ぜひネタ記事だと思ってどうか最後まで読んでほしい。

三鷹メソッドとは?思いついたきっかけ

自分はアメリカに引っ越して5年目になるが、渡米当時、上の子供は2歳半、下の子供は生まれたばかりであった。先日の振り返り記事(5年間をふりかえる(2014年〜2018年) - シリコンの谷のゾンビ)も書いたとおり、アメリカに住み、英語で仕事をしていてもなかなか英語力が伸びずに苦労していた(している)。よく土日に友達と遊んで英語力を伸ばすという話を聞くが、家族持ちは土日は家族と過ごすために、どうしても日本語漬けになってしまう。家族ぐるみの友人(英語のネイティブスピーカー)をつくるというのはひとつの正しすぎる解であるが、夫婦ともにソーシャル力の低い我々にそんなことはできなかった。

そんな中、プレスクールに通い始めた息子はどんどん英語力を伸ばし、あっという間に自分が聞こえない童謡の歌詞も聞き取れるようになっていた。自分が認識できないLとRの音の違いも認識している。このままアメリカに住み続ければ、彼はきっとネイティブスピーカーになるであろう。子供の成長に感動するとともに、ひとつの考えが思い浮かんだ。

「そうだ、こいつの英語スキルについていけば、いつか自分もネイティブスピーカーレベルになれるのではないか?」

そういえば、小さい頃にじっちゃんに教えてもらったことを思い出した。忍者は跳躍力を養うために、木の芽を植え、成長する木の芽を毎日飛び越し続け、ついには大木をも飛び越せるようになる、と。そうだ、忍者になろう!

子供の話す英語はたびたび幼児言葉であるため、とても聞き取りづらい。それでも子ども同士ではコミュニケーションが取れているようであるし、先生も理解しているようだ。すなわち、これは訓練でどうにかなるはず。そして、その訓練は特殊な職業につかない限り、純ジャパニーズの我々には一度しかない。そう、今しかない。

さらに、海外移住をした親が、無事ネイティブスピーカーに育った子どもたちに言葉でバカにされるという話をしばしば聞くので、

「英語が下手なことで、子どもにバカにされるのは悔しい。英語での議論になって言い負かされないだけの英語力を身に着けておくべきだ。」

という強いモチベーションもあった。

具体的に自分が行ったことは、日常生活においても自分の子どもと英語で話すことだけである。ただ、上の子どもがKindergarten(幼稚園年長、この年齢から小学校に入る)に入り、いわゆる学校教育というものが始まりってきたので、ただ話すということから一段階ギアが上がったように思う。

そのため、子どもと英語で話すようになってからの2年間を振り返ると、三鷹メソッドには以下のような段階があるように思える。それぞれについて簡単にまとめる。

  • (レベル1)日常のコミュニケーションを英語で行う。
  • (レベル2)今日あったことについて話してもらう。それについて話す。
  • (レベル3)こういうときにどのように話すのか、英語について質問をする。
  • (レベル4)子どもが知らない言葉の意味を英語で説明する。
  • (レベル5)英語で叱る。正しい英語を話すように伝える。

ただ、後述するようにすべてを英語で使って行うことが絶対的に正しいとは思っていないので、叱る際には日本語を使ったり、日本語学校に行く日は徹底して日本語を使うなど、いろいろと模索中である。

(レベル1)日常のコミュニケーションを英語で行う

想定する子どもの英語レベル:英語をよる指示を理解できるレベル。

間違った英語でもよい。ただ、ひたすら子どもとのコミュニケーションを英語で行う。たとえば、早く寝なさい、服を着なさい、靴を履きなさい、ブロッコリーを食べなさい、それを取って、みたいなフレーズがよく出てくる。これは英語そのものの訓練というよりも状況に応じて脊髄反射的に英語フレーズを使うということの練習という効果が強い。

このレベルでは自分は正しい英語を使う必要はない(使えるに越したことはない)。ただ、日常的に「こういうときどういうフレーズを使うんだろう?」というような気持ちが湧いてくるので、絵本や幼児向け番組に出てくるフレーズを意識して覚えようとし始める。これらをマスターして、子どもに対して使うのはレベル5になってから。

(レベル2)今日あったことについて話してもらう。それについて話す

想定する子どもの英語レベル:英語を使って何かを話せるレベル。3歳以上でプレスクール等、現地の言語に触れる環境に通っていれば3ヶ月もあれば、このレベルに達すると思われる。

学校のあと "How was your school today?" "What did you learn today?" というような質問から始める。このようなオープンな質問だと99%の子どもは "good." とか "I don't know." としか答えないので、もう少しクローズドな質問をしながらいろいろ聞き出す。子どもはたいてい面倒くさがって答えようとしないので、どのような聞き方をするかについては、英語力というよりも親としての訓練として重要な気がする。

どんな友達と遊んだのか、何をして遊んだのか。質問をすることによって、会話の練習をする。相手が子どもなので、何度もいろんな聞き方を練習できる。このあたりから自分たちが知らない単語を子どもが発することが出てくる。

この年齢の子どもたちは親から同じことを何度聞かれても「チッ、うっせーな」みたいな態度を見せないので、そういう意味でもこのレベルで、将来あまりに同じことを英語で聞きすぎて「チッ、うっせーな」と言われないレベルまで上げておきたい。

(レベル3)こういうときにどのように話すのか、英語について質問をする

想定する子どもの英語レベル:状況に応じて適切なフレーズを使い分けられるレベル。4−5歳で半年以上も学校に通っていれば、このレベルに達すると思われる。

現地の大人の言葉にある程度以上触れてくると、状況によってどのようなことを言えばよいのかということを体系だって覚えてくる。子どもが学んだフレーズについて「こんなとき、先生は何て言っていってたの?」というような聞き方で教えてもらう。

この年齢の子どもは大人の発言を「丸コピ」する傾向があるので、丸コピしたセリフを教えて貰う。子どもたちのコピー元にも依存するが、ここで得られたものはレベル4、レベル5に活きていくる。

また、これができるということは、すなわち子どもたちに単語の正しい発音についても教えてもらえるようになる。学校では単語のつづりより先に phonics と呼ばれる発音の練習から始まり、まさしく言語を音から学習する。そのため、特に学校に通いはじめると子どもはすぐに正しい発音をマスターする。

自分の経験を話すと Mountain の t は flap-t と呼ばれ、実際には発音されない、というようなことを自分が通っていた英語クラスで習ったので、息子に「Mountain View の Mountain はどういう風に発音するの?」と発音について聞いたら、view の v の発音が b に近かったらしく「Mountain Biew って何?Mountain View?」と突っ込まれた。自分はネイティブじゃないからわからなかったし、文脈から明らかだと思ったけれど、本当にこの子はvとbを別の音として認識しているのだとわかって感動した。そして、ネイティブスピーカーには、それこそ日本語で東京のことをトーキォとか発音してしまうような感じで聞こえているのかな、と思った。それ(bとvの違い、lとrの違い)を認識できる能力を持たないのにスキルとして到達しなければいけないという事実を知ったという意味でぞっとした。

子どもたちは音で覚えているので、どういう響きがネイティブスピーカーにとってナチュラルに聞こえるのか、という感覚を持ち始めている。そんなわけで自分は息子をある種の「ナチュラルな英語表現認識・分類API」と見ている。

(レベル4)子どもが知らない言葉や概念の意味を英語で説明する

想定する子どもの英語レベル:Kindergarten以上。言葉で説明された概念を理解できる能力があること。

さて、ここから急に大人側の難易度が上がり、こちら側の準備と訓練が必要になる。4−5歳あたりから子どもは「あれは何?」「これは何?」「どうしてAはBなの?」みたいな質問をしてくるようになる。Kindergartenに入ると本を読むようになり、知らない単語について質問をしてくる。

これらについて(できれば正しい英語で)答えられるようにする。これは相当な訓練になる。特に知らない単語について、「子どもが知っている単語で」答えるのは難しい。自分が知っている言葉で説明しようとすると、子どもにとって未知語が出てきて「それは何?」の連鎖が止まらなくなる。

これについては、幼児向け辞書を買ったので、その定義を引用するようにしている。辞書が手元にある場合には、子どもに単語の意味を聞かれたら辞書を引いてそれを答え、次回以降はその定義を説明できるようにしている。自分は子ども用にAnkiのアカウントをつくり、そこに子ども用の単語帳をつくっている(が、実際に使うのは自分である)。言葉の定義の確認と説明は、非ネイティブの自分が似た意味の単語の違いを改めて学ぶ機会にもなるので、これ以上の練習はない。

うちでは以下の辞書を使っている。幼児向けの辞書はこれとMerriam-WebsterとAmerican Heritage あたりが人気の様子。

Scholastic Children's Dictionary

Scholastic Children's Dictionary

この辞書は小口にアルファベットが記載されていないので本を開かないと位置がわからない。自分はそれが気に入らなかったけれど、それ以外は気に入っている。本屋に置いてなかったので図書館に行ってMerriam-Websterと二冊から子どもに選ばせたらこっちを選んだのでAmazonで購入。子どもは中の絵が気に入ったようだ(重要)。

あとは息子は算数を学校で習っているので、算数のワークブックなどを勉強するのを英語で手伝っている。技術系の仕事をしていると計算について英語で説明する機会があるものの、ネイティブレベルに説明できるほど十分には機会がないので、とても良い練習になっている。しかし、数字に関するところは実は悩んでいて、英語で算数を学んだ帰国子女が、日本に帰ってから日本語で数学を学んだものの、数字の計算はどうしても英語で行うクセが抜けず大変苦労したという話を聞いた。なので、数字を扱う言語はに関しては単一言語に固定するのが望ましいと思っている。が、いまのところ日本帰国の予定がないし、息子に関してはすでに学校教育がはじまってしまったので、うちの子どもたちに関しては英語でやってもらおうというのが自分たちの方針。

もうひとつ自分が実際にやっているのは、(ボード)ゲームのルールを英語で行うというものであった。実際にSorry(アメリカで定番のボードゲームらしい)、カタン、Dixit、チェスとポケモンカードを一緒に遊んでいて、それらのルールを全部英語で説明した。たしかボードゲームにはじめて触れたのが5歳になったばかりで、ルールを理解してそれに従うということがなかなかできなかったので、手札をオープンカードにして、こちらから誘導しながら遊ぶというパターンで遊んでいる。Dixitは対戦相手をだますように絵札を説明するゲームで、これは明らかに5歳には早すぎたので、しばらくお蔵入り。驚いたのは、カタンはルールを簡略化し、サイコロの目の足し算の訓練とパターンマッチの練習として遊んでいるだけだったけれど、彼は都市を作るのが好きなので鉄と麦をひたすら集める傾向にあって、戦略の好みが出てくるのが面白かった。本人がポケモンに大ハマリしていることもあり、ポケモンカードは特に効果的だった。カードの説明を読み上げて意味を理解できないと遊ばないよ、という制約をつけたところ、本人の語彙力とリーディングスキルが恐ろしいほど向上した。自分が opponent の発音を直されてショックを受けたのもポケモンカードで遊んでいたころである。

ルールの説明は、おそらく職種によらずどんな仕事でも役に立つスキルである。必要な情報の大枠を伝え、いま与えた情報をもとに順序立てて説明する。なんというプレゼン訓練だろう。職業柄プレゼンをする機会が多く、特に職場だとパワポなしでサマリを口頭で伝える機会が多く、特に後者が苦手だったが、子どもとボードゲームで遊ぶようになってからこれらのスキルが著しく向上したように思える。プレゼン以外の観点でも自分の持っている語彙を使って何かを説明するというのは語学においても相当高度な練習だし、直接子どもの学力向上にもつながる感覚があるので、楽しい。なによりもゲームに関していえば、自分の遊び相手ができるので超楽しい。

(レベル5)英語で叱る。正しい英語を話すように伝える

想定する子どもの英語レベル:Kindergarten以上。

子供に対して汚い言葉遣いを注意する。振る舞いを英語で叱る。レベル1とも重なっている部分があるが、違いはレベル5においては自分が正しい英語を使い、子どもの不適切な振る舞い、言葉遣いを注意する。

これはとても難しい。言葉遣いについては、明らかな下品な言葉については叱ることができるものの、意味は通るが不適切な言葉遣い、よりより表現がある言葉遣いについてはネイティブスピーカーでないと難しい。

よりよい言葉遣いの例として、学校の担任に教わった "stuff" という言葉を言い換えようというものがある。モノという意味で、dude(特に意味はない。manやbroと同じように文の後ろにくっつける。カリフォルニアの若者が多用するといわれるスラング) と並んでここらへんの小さい子どもの大好きワードである。しかし、その先生は "stuff" は lazy word だからもっと具体的なものの名前を言及するように指導していた。「机の上のそれ取って」という言葉遣いに対して「それじゃなくて物の名前をきちんと言いなさい」というような指導だろう。

この他に状況に応じてマナー的に使うべき言葉というものがあるだろう。これについては子供が学校で学べる範囲については、親が吸収をして注意できるようにしたいが、ネイティブスピーカーの親たちも自分たちの親から学んだ文化的背景が多分にあるので、レベル5は正直、非ネイティブスピーカー家庭だけでは難しい。

ほんの一部ではあるが、他の親がどのように子どもに話しかけているか、注意しているのかということも参考になる。子どもが通う学校の朝礼で校長が話を聞いていない子どもを注意する方法も参考にしたりしている。いわゆる「大人が子どもを諭すように注意する方法」を学べる貴重な機会。

しかし、日本人や自分たちの考えとして、こういう状況においてはこのように振る舞うべきだという説教を適切な英語で伝えることはできるので、それをするようにしている。そのため、このレベルをクリアすると、小学校の先生と同じレベルで子どもたちに教育ができるようになるはずだ。それだけそのハードルが高いということを意味する。

おそらく、これ以上の最後?のレベルとして、「(レベル6)英語で哲学的もしくは抽象的な議論を行う」や「(レベル7)エリアごとのアクセントの違い、コミュニティごとの言葉遣いの違いを認識し、それを議論する」というものがあるかもしれない。子どもと一緒に哲学的な話ができたらとても楽しいだろう。自分の究極のゴールは完璧なボストンアクセントを習得することなので、アクセントの違いを正確に認識し、それを真似することができれば、おそらく発話スキルという意味では究極のレベルに達するのではなかろうか。

おそらく小学校高学年、もしくは中学生くらいになるまではこれ以上のステップは難しいと思われるので、まずはそれまでにレベル5を徹底して訓練したいと思っている。自分の子どもはすでに自分が間違える発音に対してワザと理解できなかったフリをするようになってしまった。舐めようとする子ども、舐められまいとする親の戦いの火蓋は切って落とされた。

三鷹メソッドのデメリット

もちろん、三鷹メソッドのデメリットもある。特に海外在住の日本人は、家庭では日本語のみを話すべきだ、という話をよく聞く。というのも、中学生以上になると、子どもたちは常に英語コミュニケーションにされされ、日本語を話すモチベーションも減るので、とにかく家庭では徹底して日本語を話し、子どもたちをいちはやく日本語ネイティブスピーカーにするべきだという話をよく聞く。

また、言語教育の観点からは「臨界期まで複数言語を入れるべきではない」という考えもある(自分が大学生の頃まではそれが定説だったような)。一方で、最近の研究成果では、むしろ多言語環境で育った子どもの方が語学だけでなく、学力の観点でもプラスの効果があるということも言われている。これについては、もはやケースバイケース以上のなにものでもないと思う。うちの子どもの場合は、親が英語ネイティブではないので、バイリンガルになれる保証はないし、かといって純粋日本語ネイティブスピーカーになれる環境でもなく、混じってしまう。

そんなわけで、我が家の場合は、子どもたちに対して妻(日本語ネイティブスピーカー)が日本語、自分が基本的に英語(日本語を話す文脈では日本語)で話すようにしている。自分が知っている親のひとりが英語ネイティブ、もうひとりが日本語ネイティブといういくつかの家庭においては、片方が日本語、もう片方が英語を使って子どもたちに話すというケースを聞く。面白いことに親が自分のネイティブ言語を話すパターンだけでなく、親が自分たちの練習のためにあえて非ネイティブ言語を使って子どもたちと話すというケースを二例ほど聞いた。これぞ、まさに三鷹メソッドである。

自分が今後がどうなるかわからないので、子どもがバイリンガルに育つのか、はたまたさっさと日本に帰ることになるのか全くわからないのだけれど、子どもの言語習得、特にアイデンティティの観点からは、以下の本を読んで「なるほど」と思ったので、ここに加えておく。

本書ではバイリンガルを2つの言語を操れること。バイカルチャーを、2つの異なる社会文化的な要素を理解し、それらに自由自在に対応できることと定義している。

本書の主張は、自分が経験した文化を一度外から眺めることを通じて「外からの視座」を獲得してバイカルチャーになっていくというもの。帰国子女の場合には、まず海外経験をすることによって日本人というアイデンティティを外から眺め、帰国後に、経験した外国文化を外から眺めることでバイカルチャーとしての素養を獲得していくとのこと。

本書の中でおやっと思ったのが、どうやら帰国子女ということであるだけで、自分たちが純粋な日本人としてのアイデンティティを失い、ある種の後ろめたさを持って暮らしていたという声が書かれていたこと。自分は帰国子女ではないので気持ちはわからないけれど、本書の中には日本人のアイデンティティを意識するあまり、帰国子女であることを一切隠して生きてきたという人の話が書かれていた。

ということを読んで我が子たちを眺めて、彼らにそういう気持ちがいったい芽生えるのかわからないけれど(おそらく思春期の頃に話せるのではないかと思っている)、アイデンティティという意味では残念ながら、彼らはもう純粋な日本人にはなれないので(そして純粋なアメリカ人にもなれない)、親としては辛いこともあると思うけれど、ぜひバイカルチャーな人間になってほしいなぁ(そして自分にいろいろ教えてほしいなぁ)、などと甘っちょるいことを考えている。

名称の由来

三鷹メソッドの名称は、高橋留美子の名作「めぞん一刻」に登場するイケメンテニスコーチの三鷹瞬に由来する。主人公五代の恋のライバルだが、大嫌いな犬の登場によってひきつけを起こしし、音無響子のプロポーズの返事をもらい損ねたり、犬を怖がって見合い相手にはからずも抱きついてしまうなど、犬に人生を翻弄され続けた三鷹は犬嫌いを克服するためにマッケンローと名付けた小犬を飼い始め、ついには犬嫌いを克服するというくだりで、忍者の訓練方法になぞらえて三鷹メソッドについて説明している。

著作権の問題で画像は載せられないが、自分の叔父に対して、犬嫌いを克服した際の方法について語る三鷹のセリフを引用する。

三鷹「忍者は跳躍力を養うために、成長する木の芽を、毎日飛び越し、ついには大木をひとっ飛び。」
三鷹「犬だって同じです。小犬の頃から徐々に慣れていけば…」
三鷹「ふっふっふ、試みは大成功でした。」

忍者が跳躍力を鍛えるために木の芽を植えて、それを飛び越えるというネタは他にもどこかで見た記憶があって、日常会話の中でも使ったことがあったのだけれど、あまり知られていないネタらしい。最初はニンジャメソッドとか呼ぼうと思ったけれど、結局めぞん一刻三鷹の話しか出展を見つけられなかったので、大好きなめぞん一刻と、三鷹さんに敬意を表して三鷹メソッドと名付けた次第。

この話にはオチがついているんだけれど、やっぱり何度読み返しても三鷹さんいい人すぎる&かわいそう。

めぞん一刻は、中学生の頃にクラスメイトに全巻貸してもらって読んで以来、間違いなく人生トップ3に入るくらい大好きな漫画。今時の若い人には受けないのかもしれないけれど、平成も終わることだし、昭和の臭いがプンプンする名作を読んでみてはいかがだろうか。ちなみにこの話が出てくるのは第11巻の「ドッグ・ホリデー」。

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まとめ

またもや長文になってしまった。そんなわけで、究極の英語学習法、三鷹メソッドを紹介した。自分は三鷹メソッドのおかげで、自分の子どもの友達と喋れるようになったし、親とも喋れるようになったし、職場でも喋れるようになった。なにより自分自身が子どもから学ぶ態度ができたおかげで、子どもとのコミュニケーションがさらに増えたように思える。子どもの世話を自分が一方的にしてやってるんだ感が薄れるという意味でも良い。英語とか関係なしにその態度を取るべきなのは頭ではわかっているんだけれど、まぁ自分はそんなにできた人間ではないので、やっぱり自分自身にプラスになっているということは素直に嬉しいし、モチベーションになる。

同じようなことをやっている人がいたらぜひ意見交換をしたい。