作文スタイル毎の文末形式の違いの分析 - 村上春樹編

昨日の記事id:mamorukさんにコメント頂いた.どうやらNLPでは扱わない問題らしいけれど,やはりけっこう研究されているそう.


小説全部の頻度を数えるのは難しいけれど,冒頭の定性的な分析ならできるかも,と思って村上春樹作品をぱらぱらっとめくってみた.やはり,「た」「だ」で終わる文章が多い.

ノルウェイの森の冒頭

僕は三十七歳で,そのときボーイング747のシートに座っていた.その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し,ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった.十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め,雨合羽を着た整備工たちや,のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や,BMWの広告版やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた.やれやれ,またドイツか,と僕は思った.

その後も読んでみると,なんと14文連続「た」で終わっている.

ねじまき鳥クロニクル冒頭

台所でスパゲティーをゆでているときに,電話がかかってきた.僕はFM放送にあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹いていた.スパゲティーをゆでるにはまずうってつけの音楽だった

こちらは「だ」も含めると8文連続「た」「だ」で終わっている.


ぱらぱらっとめくっただけだけれど「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は冒頭が現在形で始まっていたため,「た」が少なめだった.きちんと読み始めると一日つぶれそうだったので,ここらへんでやめ.


それでも,村上春樹作品は「単調」だとは思わない.淡々としているとは思うけれど,飽きない.一方,読書記録に書いたけれど,三島由紀夫潮騒」は強烈だった.日本語の勢いというものを肌で感じることができた.


それとは違う.別の理由で引き込まれるものがあるなぁ,としみじみ思いました.まさしく信者乙な発言ですね.


村上春樹の文書を読むと---村上春樹に限ったわけじゃないと思うのだが---修飾語(そう呼ぶのが正しいのか僕にはわからない)が豊富で多彩だということがわかる.ノルウェイの森の冒頭なんて,まるで100万部売れることが想定され,僕には一生縁のないような有名人のコメントで埋め尽くされた本の帯のように着飾られている.やれやれ,村上さんあなたは立派ですよ,と僕は思った.


村上春樹風に締めてみるテスト.