フューチャリスト宣言

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

2007-09-11読了)


梅田望夫茂木健一郎の対談.とても読みやすい.


未来のことについて考える「フューチャリスト(未来学者)」と冒頭で述べているが,彼らが未来についてあれこれ具体的に予測するわけではない.現状のWeb2.0(彼らのいうWeb2.0って何だろう?)についての解釈,そしてそれの方向性について述べているだけで,「本書を読んで貴君は何を感じるのか?」というのが本書のメッセージらしい.


ちなみに,梅田望夫茂木健一郎両者の著書を一冊ずつは読んでおくと話が通りやすい.前提知識がないと,わからないだろうなっぁという部分がちらほら見受けられた.


「システムの一人勝ち」という言葉を使っている.言葉でうまく説明することができないが,結局マトリックスの世界でいう人間電池になる恐れがあるということ.


会議なんかもフェイス・トゥ・フェイスで行う必要がないと茂木氏は述べているが,本当だろうか?ふたりは大学の必要性について懐疑的な意見を述べている.
従来の日本式である座席に座った講義からでも,「これは!」と思う瞬間があった.それは,おそらく映像では伝わらないのではないか.教員の表情,声のトーン,授業の雰囲気,全てが働いたのではないか.どうしてもそう思ってしまう.古い人間なのだろうか.
文字列で全てを伝えることができるのだろうか?クオリア研究者ならば,そこら辺について考察してほしいものですが...


二人の話を聞いていて,現在世界は最適効率に向かって走り始めているのかな,と思った.今までは(今でも)経済効率が正義で,「安くて便利なもの」を常に求めてきた.最近では,環境問題も考慮する必要が出てきて,少しは長期的な視点で経済効率を求めている.そんな中,どう考えても経済効率を考える上では必要ないものが世の中にはたくさん存在していて,それらを構成する技術であったり知識であったりというものが生まれては死んでいっている.
彼らの話す未来には,どうやらこれらの要素をひとまとめにして,個を殺し,全体として良いものができればいいじゃない,という世の中になるような気がする.
というような書き方をしていると,「読み方違うんじゃない?」というような気もするが,多分合ってるはず.これが「システムの一人勝ち」ということなのだろう.


私が言いたいのは,毎回引用する「インクス流!」の話の通り,「職人的技術」のようなものが消えていってしまうという可能性を忘れてはならないということ.
例を挙げると,梅田さんが以前,羽生善治氏と対談したときの話で上がっていた「学習の高速理論」における高速道路が出来上がってしまうと,今まで下道の悪路を走るための微妙なテクニックが失われて行ってしまうのではないか,ということ.


20円で1枚買えるカードダスで30円入れてちょっと工夫するだけで実は2枚取り出すことができるという裏ワザを子供の時,見つけたことがある.それを近所の子供たちに言いふらしてまわったのだが,あの技術はもはや必要ないし,おそらく近所の子供だった人たちは(私以外)誰も覚えていないだろう.そういった技術や知見が現在の私のセレンディピティに役に立っていないとは思わない.今までのありとあらゆる無駄な経験が今の自分を形成していると考えると,彼らの見る「フューチャー」は,なんと「無駄のない」世界なんだろう,と.


大学の退屈な講義を切り抜けるため,友人たちと協力した経験は今でも良い経験だったと信じているし,あの状況,環境でなければ経験できなかったと思っている.もちろん,別の環境,状況であればまた別の経験ができるわけで...(略)


熱っぽく考えさせられている時点で,著者らの思惑通りなのですが.簡単に読めるのでさらっと読んでみるがよいと思います.
2ちゃんねるはなぜ潰れないのか」でひろゆきは梅田氏を楽観主義者と呼ぶ理由がわかった.けれど,やっぱり両極端な人は必要で,梅田氏のようにまっすぐ理想的な将来予測をする人は必要だし,彼のメッセージには耳を傾ける価値がある,と思う.


全然関係ないけれど,フュって入力しづらいFYUと打てば入力できるみたいだけれど,最初は本当戸惑った