教育力

教育力 (岩波新書)

教育力 (岩波新書)

(2007-12-23読了)

「あの授業、ほんとうに嫌になるほど厳しかった」けれど、10年後になって「ありがとう」と言えるのでならば、それは大変いい関係だ。成果が目に見えず、感謝されないことも当然ある。「教育という仕事ははかない」と斎藤喜博はよく言っていた。
(p.28)

確かに,今この言葉を伝えられる先生がいる.今,自信を持って「あの授業には本当に感謝している」という授業は,どれも苦しくて,嫌で仕方なかった授業のような気がする.認知的不協和が働いているのかもしれないけれど,それでもやっぱり力になっているんだと思う.そう思いたい.

最初の方に,吉田松陰の松下塾,福澤諭吉が学んだ緒方洪庵適塾例を紹介しているが,緒方洪庵の塾の厳しさは,凄まじいという感想以外思いつかない.特に「会読」と呼ばれる自主勉強会は,これこそが研究室・ゼミの目指す勉強会の理想形のひとつ,と思う.(会読については書くのが面倒くさいので割愛.本文p.14-)
会読のシステムを成り立たせているのが,優秀な先輩たちであり,その先輩たちを育てたのも,これまた優秀な先輩たちなのである.
学びにおいて,正の連鎖が起きている.これをなんとか作り出せないものだろうか.


徹底的な訓練によって基礎をつくる,その点において,ゆとり教育を批判し,従来の教育方法の良い点を挙げている.(けして,従来の教育を礼賛しているわけではないので,誤解なきよう)
知的生活の方法でも書かれていたが,当時の上智大学を見て,国立大学の教授が「上智大学は不思議だ.1年生よりも2年生,2年生よりも3年生の方ができる」というようなことを言ったという.これに通ずるものがある.


教師は常に学んでいなければならない.教師も常に研究者的な態度を持っていなければならないという.
また,学生の興味を引く雑談のひとつやふたつをできなければいけない,とも述べている.思えば,自分の授業の記憶は,やれプロポーズをどうしたの,やれフランス人と結婚したいだの,そんな話ばかりだったような気がする.
漸化式の説明をするために,公の場でかけないようなたとえ話をしてくれた数学のO先生.彼の授業のわかりやすさと,生徒の興味の惹きつけ具合は秀逸だった.


教えるためにはどんなことでもする.伝えたくて仕方のないエネルギーを持った人が教師になるべきである,と繰り返し述べている.
最後に宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」という詩を紹介してある.


あとがきでも書かれているように,この本こそ齋藤孝が昔から書きたかったものであり,ひとつの集大成といえる.今までも齋藤孝の本を何冊か読んできたが,その中でも最も気持ちが篭もっている本のような気がした.