認知的不協和

ずーっと喉に引っかかっていた心理学用語を思い出した.ミーティング中とか,話の中で使いたいけれど思い出せなかった.心理学の入門書をぱらぱらめくっていたらようやく見つけることが出来た.


「認知的不協和」でした.
自己同一なんちゃら,とか,非同一なんちゃら,とか当たりをつけていたけれど,全然違いました.

認知的不協和とは

個人が心理的に相容れないふたつの認知(考え,態度,信念,意見など)を同時に持っているときに生じる緊張状態のこと.


「人間は自分が正しいと思いたい」「自分は一貫性があると思いたい」という欲求を持っており,これは「合理化」と呼ばれる現象にも通ずる.
たとえ話としては,イソップ童話のキツネが,食べたいブドウに手が届かなかったとたん「あれは酸っぱいブドウだ」とつじつまを合わせた,という例が挙げられる.

認知的不協和理論の提唱者であるフェスティンガーは,不協和を解消するためには,

  1. どちらかの認知要素を変更する
  2. 新たな認知要素を加えることで矛盾を小さくする

と考えた.
キツネの例では,「おいしそう」という認知と「届かない」という行動が不協和を起こし,結局「おいしそう」という認知を取り消して「酸っぱいに違いない」に変更することによって不協和を解消したと説明できる.


この認知的不協和を逆手にとった実験がある.庭先に「運転注意」という看板を立てることへの同意率を調査したところ,いきなりお願いした場合には全体の17%しか同意が得られなかった.
しかし,実験者がまず「安全運転賛成」の請願書への署名を頼んだ後(これはほぼ全ての住民が応じてくれたらしい),数週間後に別の実験者が同様の要求をした場合には,住民の55%以上がこの要求を受け入れた.
後者の場合,看板を立てることを拒否すると,以前に署名をした行為と「認知的不協和」を起こすので,拒絶しにくくなるものだと考えられる.


最後の例はセールスマンの常套手段らしい.
あー,すっきり!