ゆらぐ脳
- 作者: 池谷裕二,木村俊介
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/08/07
- メディア: 単行本
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(2011-02-11読了)
海馬の研究者,池谷裕二氏による随筆本.本人も語っている通り,今まで書かなかった思いが書かれている.たくさんの「質問」に対する回答という形式で書かれている.
いろいろとポイントはあるけれど,自分が感じたポイントは,以下の2点の気がする.
前者については,「わかるとは何か」という問いへの回答を通じて,還元論的に物事を分解したところで結局何もわからないのではないか,という考えを書いている.分解をしない研究は,何を調べたいのかという明確な目標がないため,非常にやりづらいという悩みも書いている.
後者の仮説は反証することしかできない,という点については以下,少し長い引用.
実際に現場で手を動かして実験をしているとよく分かるのですが、仮説が否定されなかったときは、うっかり「仮説の確からしさが増した」と勘違いしがちです。そんな錯覚に陥ったときこそ危険です。なぜなら、反例が見つからなかったということは、「反証に失敗した」にすぎないわけです。繰り返し強調しますが、科学の論法には、厳密には、「仮説の反証」しかありません。この点は誤解してはいけません。実験科学の仮説は、いかなる素晴らしい学説であっても、その「正しさ」は証明できません。私たちは、仮説を否定することによってのみ、真実に近づきうるのです (もちろん「真実」というものがあると仮定すればの話です)。
つまり、自説が否定されないときは、本来は「落胆すべき」なのですが、多くの研究者は否定されないことが続けば続くほど、「おお、素晴らしきかな我が学説!」と自己陶酔します。
誤解を恐れずにいえば、世に出てくる自然科学の論文のほとんど (私の直感では99%以上) は、そんな自己満足のレベルに留まっています。自分の仮説に「矛盾しない証拠」(多くの人はこれを「仮説を支持する証拠」と間違った呼び方をします) を並べ立てて、「我々の仮説は正しい (らしい) 」と主張する論文が大半なのです。
(pp.245-246)
現実世界は数学のように閉じた世界ではないので,数学帰納法的アプローチを取ることができない.そのため,基本的には反証をすることしかできない.
エンジニアリングの立場からいえば,工学はもう少しやりやすい気がする.持論ではあるけれど,工学は役に立ってナンボだと思っている.役立つための指標はいくつもあるけれど,例えば「効果があること (effectiveness)」「使いやすさ (efficiency)」の2つを例に挙げる.
効果があるかどうかというのはアプリケーションによって変わるので,非常に限定された側面であるとは思う.しかしながら,アルゴリズムが高速である,実装や拡張が容易であるといううれしさは現実世界に近い指標なのではないか.
サイエンス研究者として一流の池谷氏は,研究の進め方についても哲学を持っている.
「やりすぎるくらいでなければ研究は成功しないのではないだろうか」
(p.123)
これには同意をする.自分はサイエンスではなく,エンジニアリングの人間ではあるが,新しい問題を解く際に,最初に立てた仮説を検証する実験と評価を数サイクル回して論文が書けるくらいになってはじめて重要な知見が蓄積し始める.大体,このくらいで論文を書こうという甘い見積りをしていると,実験がうまくいかなかった場合にノウハウが溜まらず骨折り損ということになってしまう.
(本人が思っているよりずっと) やりすぎるくらいでなければ研究は成功しないのではないかと思っている.ただし,やればいい,というわけではないのが非常に難しいところではあるのだけれど.
メモ
- 情報の「吸収」「生産」「発信」(p.118)
- 分かるとは
- 名前を付ける
- 分解する
- 池谷氏は修士課程で13本 (うち9本が筆頭) の論文を書いた
- 違いがわかることは大脳皮質の当該領域が拡大していること
- イヤなものを覚えておく嫌悪学習というのは脳の古くて基本的な機能 (p.175)
- 齧歯目であるネズミは嘔吐しない (できない) (p.20