議論のルールブック

議論のルールブック (新潮新書)

議論のルールブック (新潮新書)

(2007-11-09読了)


実例を挙げて書かれているので,とてもわかりやすい.
うまくまとめれば1コマないしは2コマ程度の講義にできるから,この内容を大学1年生を対象にやったらいいのに,と読んでいて思った.


私は割と議論が好きなほうなので,いつでも自分の意見をはっきりと言う.
個人の意見なので,取るも取らぬも聞き手の自由なのだが,発言を攻撃的なものと取られ,もしくは強制力を持ったものと取られ,相手が身構えてしまって耳を塞いでしまう,というケースを何度も経験してきた.
そういうわけでいかに相手が身構えないような話し方をするか,ということに心がけて今日に至る.本書には,今まで気をつけてきたようなことが説得的に書かれている.

A「そもそも,目に見えるものが存在するかどうか証明できないんだから,あなたの言っていることは仮説でしかない」

という突っ込みをすることもできる.議論の参加者は直感的に,もしくは感情的にAが言っていることはおかしいと感じるが,Aの発言が「間違っている」と証明することはできない.


議論とは元来「真実を求める」という姿勢で行われている.真実や意味を追い求めるのが無駄だという態度を取る人たちを冷笑主義と呼ぶ.こういった人々の発言は,実は「そもそも」議論に参加していないのである.
公理を認めずに論証など出来ないわけだから,公理を認めない者は議論に参加していることにならない.地球で戦争をしているのに宇宙のよくわからん場所(*1)から遊星爆弾を投下するようなものである.この,いわゆるソフィスト弁証法(詭弁術)を議論に持ち込まれたときにどうするかについては,本書で書かれている.
(*1)要するにガミラス帝国


本書のポイント,議論の倫理とは本書最後の段落に集約されている気がする.

自分に対するすべての批判は、いったん自分で考え、正しいと思ったものだけを受け入れるようでなくてはなりません。自分に対する批判を一切聞かない姿勢は論外ですが、逆に批判をすべて聞いてしまうのも良くないことです。自分への批判を自分で判断するということは、結局、自分で自分を批判するということです。つまり、自己批判です。
(p.204)


今まで人は他人との物理的な距離を短くすることばかり求められてきたが,インターネットや携帯電話の登場によって人と人を距離なくべったりとつながってしまった.以下抜粋.

物理的な制限があった時代には、相手との間には距離があったので、それをどう近づけるかを考えるだけで済みました。それが,今では距離をとることを考える必要が出てきたのです。しかし、わざと距離をとるということは、相手にとって不快なことであり、また人とのコミュニケーションをとるという大前提と矛盾することでもあります。このことは、今後大きな問題となるでしょう。
(p.79)

議論の話とは逸れてしまったが,この部分を読んで,こんなことが思い浮かんだ.
ウェブの普及によって,ウェブと現実の境界線が曖昧になっていくと,ウェブが「オープン」であることの問題が出てくる.ウェブ上に分散して情報を統合することで個人情報を取得できてしまうかもしれない.ひとつの記述を見る限りでは個人を特定することができないため,書き手にはそれが個人情報の一部になっている自覚がない.こういった問題が出てくるのではないか.


議論のレッスン (生活人新書)と併せて読むとよさげ.順番としては議論のルールブックが先かな.